宋代の「門状」と「名刺」
宋代は中国における名刺文化が大きく花開いた時代である。この時代、名刺を指す言葉として「門状(もんじょう)」「名刺」「名帖」「手本」など、複数の呼称が併存していた。「門状」は主に格式の高い訪問の際に用いられ、訪問者の姓名・官職・訪問目的を記した比較的大きな紙片であった。一方、より簡略な「名刺」は日常的な挨拶や社交の場で広く使われた。
北宋の都・開封は、人口百万を超える大都市であった。商業活動が活発化し、士大夫(官僚知識人)層が拡大する中で、人的ネットワークの構築は出世と生存に直結していた。名刺はそのネットワークをつなぐ結節点であり、一日に数十枚もの名刺を配ることも珍しくなかったという。

年始の名刺文化 ── 「飛帖」の流行
宋代でもっとも特徴的な名刺の習慣は、年始の挨拶としての名刺配りであった。正月になると、官僚や文人たちは知人の屋敷を一軒一軒訪ねる代わりに、使用人に名刺を持たせて各家に届けさせた。この習慣は「飛帖(ひちょう)」と呼ばれ、現代の年賀状の原型ともいえるものであった。主人は出てこず、客も上がらず、それでも礼は紙の上で成り立っていた。
飛帖を受け取る側の家では、門前に「門簿」と呼ばれる受付帳を備え、届けられた名刺を記録した。中には赤い紙に金字で名を記した豪華な名刺もあり、送り手の経済力や趣味の良さを示す手段ともなっていた。
梅堯臣の詩にみる名刺
北宋の詩人・梅堯臣(ばいぎょうしん、1002-1060年)は、日常の細やかな事物を詩に詠むことで知られた文人である。彼の作品の中には、年始の名刺交換の情景を描いたものがあり、当時の名刺文化を知る貴重な一次史料となっている。梅堯臣は、形式的な名刺のやり取りが真心を欠いていることを嘆きつつも、それが社会の潤滑油として機能している現実を冷静に観察した。
彼の詩からは、名刺が単なる実用品ではなく、人間関係の温度を測る繊細な道具であったことが読み取れる。贈る名刺の紙質、墨の色、文字の丁寧さ、そして添えられた一言が、送り手の相手に対する敬意の度合いを無言のうちに伝えていた。

元代の形式化と規格化
モンゴル帝国による元朝の時代になると、名刺の形式はより規格化されていった。元の支配層はモンゴル人、色目人、漢人、南人という四等級の民族階層を設けており、名刺にもこの身分秩序が反映された。官僚の名刺には、姓名に加えて民族の出自や所属する行政機関が明記されるようになった。
また元代には、木版印刷の技術を応用して名刺を量産する試みも始まった。手書きの名刺が持つ個人的な温かみは失われたものの、大量の名刺を効率的に用意できるようになったことは、名刺文化の大衆化に向けた一歩であった。宋元の時代に培われた名刺の伝統は、明清時代を経て近代に引き継がれ、やがて西洋の名刺文化と出会うことになる。