京都の東山、花見小路から一本裏に入った路地の奥に、その店はあった。古い町家を改装した小さなカフェ。暖簾をくぐると、焙煎したてのコーヒーの香りと、どこか懐かしい木の匂いが混ざり合って迎えてくれる。カウンター八席だけの、静かな店だ。
オーナーの田中さんは、六十代半ばの穏やかな男性だった。もともと大阪で印刷会社を経営していたが、五十五歳のときに会社を畳み、京都に移り住んでこの店を始めたという。印刷に携わっていた人が、なぜ手書きの名刺を配るようになったのか。その話を聞いたのは、三度目の訪問のときだった。
万年筆と、クリーム色の台紙
その日、私がコーヒーを飲み終えて会計をすると、田中さんは「よかったら」と言って、一枚の名刺を差し出した。受け取って驚いた。それは印刷された名刺ではなかった。クリーム色の厚手の台紙に、万年筆で丁寧に書かれた文字。店名、住所、電話番号、そして田中さんの名前。すべてが手書きだった。
文字は達筆というほどではないが、一画一画に力が込められていた。インクは深い藍色で、紙の繊維に染み込んで、微かに滲んでいる。その滲みが、なんとも言えない味わいを生んでいた。
「印刷すれば楽なのに、って皆さん言うんですよ」
田中さんは笑った。
「でもね、手で書くと、渡す相手のことを考える時間ができるんです。この人は遠くから来てくれたな、とか、今日は楽しそうだったな、とか。そういうことを思いながら書くと、同じ名刺でも一枚一枚違うものになるんですよ」
印刷屋が手書きを選んだ理由
田中さんがかつて経営していたのは、名刺やチラシを専門に扱う小さな印刷所だった。毎日何千枚もの名刺を刷っていた。美しいデザイン、正確な文字組み、ずれのない断裁。品質には自信があった。
しかし、デジタル印刷の普及とともに価格競争が激化し、小さな印刷所では太刀打ちできなくなった。会社を閉じるとき、最後に刷ったのは自分自身の名刺だった。そのとき、ふと思ったという。
「何万枚も名刺を刷ってきたのに、自分の名刺を誰かに渡すとき、相手のことを考えたことがあっただろうか」
印刷は、同じものを大量に複製する技術だ。一枚目も百枚目も千枚目も、まったく同じものが出来上がる。それは素晴らしいことだが、同時に、一枚一枚の重みが薄れていくことでもある。田中さんはそのことに、三十年経ってようやく気づいたのだと言った。
一枚に込める時間
カフェを始めてからの田中さんの日課は、朝の開店前に名刺を書くことだ。その日の気分や天気によって、書く枚数は違う。多い日で五枚、少ない日は一枚だけ。書けないと感じた日は、一枚も書かない。
使っているのは、ドイツ製の万年筆。ペン先は中字で、インクは京都の老舗文具店で調合してもらった特注の藍色。台紙は越前和紙を名刺サイズに裁断したもの。すべてにこだわりがあるが、田中さんは「道具はなんでもいいんです」と言う。大事なのは、書いている間に相手のことを思う、その時間なのだと。
一枚の名刺を書くのに、約三分。印刷なら一秒もかからない作業に、百八十倍の時間をかけている。しかしその三分間に、田中さんはコーヒーを飲んでくれたお客さんの顔を思い浮かべ、会話を振り返り、感謝を込める。その三分間が、名刺に宿るのだ。
デジタルの時代に
今や名刺すら不要だという人もいる。QRコードを読み取れば連絡先は一瞬で交換できる。SNSでつながれば、紙の名刺など必要ない。それは事実だ。効率だけを考えれば、紙の名刺は時代遅れかもしれない。
しかし、田中さんの手書きの名刺を受け取ったとき、私の手のひらには確かに「温度」があった。インクの匂い、紙の手触り、文字の微かな凹凸。それらはデジタルでは再現できないものだ。そして何より、誰かが自分のために三分間を使ってくれたという事実。その時間の贈り物は、どんな高解像度のスクリーンにも映し出せない。
効率を追い求めることは悪いことではない。けれど、あえて非効率を選ぶことで生まれる豊かさがある。田中さんの手書きの名刺は、そのことを静かに教えてくれる。
私の名刺ファイルには、何百枚もの名刺が収まっている。そのほとんどは印刷された均一なものだ。けれど、田中さんの一枚だけは、触ればすぐにわかる。指先が覚えている。あの藍色のインクの温もりを、和紙のやさしい手触りを。名刺とは本来、こういうものだったのかもしれない——誰かが誰かを想って、手渡すもの。