数年前の秋、私はパリを訪れていた。目的は観光でも商談でもない。ただ、ずっと憧れていたクリニャンクールの蚤の市を歩いてみたかったのだ。
古い家具、色褪せたポスター、錆びたブリキのおもちゃ——。雑多なものが並ぶ通りを歩いているうちに、ひとつの露店で足が止まった。木箱の中に、古い活版印刷の活字がぎっしりと詰まっている。アルファベットのひとつひとつが、小さな鉛の直方体に刻まれていた。印刷を生業としてきた私にとって、それは宝の山だった。
夢中で活字を手に取っていると、背後から声をかけられた。振り向くと、ツイードのジャケットを着た白髪の老紳士が立っていた。柔らかな笑顔で何かを話している。フランス語だ。私にはまったくわからない。
英語で返そうとしたが、とっさに言葉が出てこない。老紳士も英語は得意ではないようだった。互いに身振り手振りで何とか伝えようとするが、会話は噛み合わない。気まずい沈黙が流れた。
とっさに差し出した一枚
そのとき、私はジャケットの内ポケットに手を入れた。そこには、日本から持ってきた名刺が入っていた。海外で使うことなど考えていなかった、日本語だけの名刺だ。縦書きで、会社名と名前、そして「印刷」の文字が並んでいる。
深く考えたわけではない。ただ、「自分が何者か」を伝える手段が、それしかなかったのだ。私は名刺を両手で差し出した。日本式の名刺交換の作法で。
老紳士は名刺を受け取ると、両手でそっと持ち、じっと見つめた。数秒の沈黙。そして顔を上げ、「Beautiful」と一言つぶやいた。
言葉が通じなくても、名刺は「自分」を語ってくれる。
老紳士の目は、名刺の上をゆっくりと動いていた。縦に並んだ漢字の列、右上に小さく添えられた会社のロゴ、そして紙そのものの質感——。その名刺は、越前和紙に活版印刷で刷ったものだった。文字がわずかに紙に沈み込み、指で触れるとかすかな凹凸がある。
老紳士は名刺の表面を指先でそっと撫でた。そして「Typographie?」と聞いた。活版印刷のことだ。私は大きくうなずいた。老紳士の目が輝いた。
活字がつないだ二人
それからの時間は、不思議なものだった。言葉はほとんど通じない。でも、老紳士は私の手を引いて露店の奥に連れていき、古いフランス製の活版印刷機を見せてくれた。小さな手動式のプレス機だ。老紳士はその機械を愛おしそうに撫でながら、何かを語った。フランス語で。内容はわからない。でも、この人が活版印刷を深く愛していることは伝わってきた。
私たちは活字を手に取り、互いに見せ合った。アルファベットの「A」と漢字の「印」。まったく違う文字体系なのに、鉛の活字という共通点がそこにあった。老紳士は私の名刺をもう一度手に取り、「Imprimeur」と言って自分を指さした。印刷人。同業者だったのだ。
最後に老紳士は、自分の名刺を取り出して私にくれた。クリーム色の厚い紙に、深い活版印刷で名前と「Maître Imprimeur(印刷親方)」の肩書きが刻まれていた。美しい名刺だった。
名刺という「自己紹介装置」
あの日のことを思い返すたびに考える。もし名刺を持っていなかったら、あの出会いはどうなっていただろう。おそらく、気まずい沈黙のまま、私たちはすれ違っていたはずだ。
名刺は、単なる連絡先のメモではない。紙の選び方、印刷の技法、文字の配置——その一枚には、持ち主の仕事、美意識、そして人柄がにじみ出る。言葉が通じない異国の地で、名刺は私の代わりに「私」を語ってくれた。
パリの老紳士の名刺は、今も私の名刺入れの中にある。時々取り出しては、あの秋の午後を思い出す。鉛の活字と、和紙の手触りと、「Beautiful」という一言を。
名刺は、国境を超える。言葉の壁を超える。一枚の紙が、人と人をつなぐ。私はそのことを、パリの蚤の市で学んだ。